声を上げると同等に大切なこと

声を上げるのはとても大切だ。というか、以下の場合は必須になってくる。

A. 必要だが、自分の力(だけ)では実装できない場合
B. 必要だが、周囲の同意が必要な場合

1. 何かが必要であるが、必要性が理解されていない場合
2. 必要性の度合いが、周囲で不足している場合
3. 必要性が理解されているが、資源が割り当てられない場合
4. 資源が割り当てられているが、アクションが起きない場合
5. アクションが起きているが、実装されない場合

A, B は声を上げる必要が出てくる条件であり、1〜5は段階的。段階に応じた声を上げる必要がある。

でまあ、広く「調整」と言われるこの行為だけれども、これがないと最初の動きが起きなかったりするんだよね。で、理解してもらうとか、意見や要望、必要性をまとめて構造的に提示するというのも一つのスキル。

だから声を上げることも、手を動かすということも、実動としてはどちらも変わりないと思う。ただこの「声を上げる」が小学生の作文レベルでは意味がない。「業務に使えるプログラム」と「とりあえず動くプログラム」くらいの違いは如実に出る。

声を上げるだけではだめで、十分な精度をもって声を上げなければならない。適切な場所で声を上げなければならない。ただ動いて完成しても、最終的に採用されないという落ちすらあり得る。たとえそれが正しくても。そういうのはたくさん見てきた。

実現したいことの正しさだけでは足りない事があるということで、進め方の正しさも同等に重要だ。

なのだが。その上でだが。

実際に動かなければやっぱり実現しないんだよね。実行して現実にする、というのが実現の意だと思う。

意見をまとめるのも実行のひとつ。だけど、それだけでも足りない。声を上げるのと手を動かすのは車の両輪で、どちらが欠けても実現はしない。

じゃあどうしたら実現する、なんて事は自分も知らない。ただ少なくとも、実現するには上記2つは必要なんだろうな。