平凡であると心底思えるのはむしろ幸福だと思う

平凡の意味を間違えていなければ。

http://anond.hatelabo.jp/20081223213740

そもそもクリエイティブに到達できる人間が何人いるのか。出版やアニメやってる人が自身の仕事をクリエイティブだと思ってやっているとでも思っているのだろうか。むしろ否だ。あの業界に知り合いがいたこともあったが、そんな心理ではなかった。少なくとも僕の周りでは。

実際自分もアニメや映像業界などに行きたいと思ったことはあったものの、その儲からなさ加減とか、現場のキツさ、保障のなさを前にして諦めた。後々これは正しい判断だったと思った。当時あの業界は基本的に歩合制であったというのもあって、動画だと初任給7万というのも聞いた。

その上で「クリエイティブな仕事」あるいはそう見える仕事に到達している人たちだって同じ状況であったはずだ。業界がお膳立てしてくれていた訳なんかない。才能があればそういう仕事につけたわけでもない。絵や音楽にしたって、上手くて才能があってでも売れてないのなんて多くいる。そういった仕事ができるようになるまで、仕事をこなして、積み上げ勝ち取った成果だろう。

別にゲーム業界に限らない。ゲームだろうが音楽だろうがプログラムだろうがみんなそう。

だからむしろ自分に才能がないと思うほうがよい。凡人であると。凡人だからこそやることが見える。足りない部分が浮き立ってくる。だから前に進めるんだ。積み上げることができるんだ。そして世にある「普通」を全てやれればそれだけでも上等だよ。そこがスタートだと思う。

ゆえに自分は凡人だと堂々と言える。もちろん自慢じゃないが、しかし恥ずべき事でもない。

一方で「クリエイティブ」は娯楽だけのものでもない。現実の仕事、工事現場でも農業でも、どこにいたって発揮できるはずだ。100年前の人が見たら今の仕組みは夢のようだと言うだろう。すべて想像と創造あってこそで、これらの源泉は成果の積み重ねにアイディアというスパイスが加わって初めて起こるもんだと思う。

極度に発達した科学は魔法と見分けがつかない、とは有名な言葉だけれど、それを魔法と言えるかもしれない。ならば今は魔法に至るまでの過程にすぎない。科学の魔法を構成するのが数式と仮説と検証ならば、技術者たる僕の魔法はコードとアルゴリズムとパターンに宿る。

いいから前に進もうぜ。眼前の理不尽や痛みなんか幾らだってあるけどさ。結構楽しいもんだよ。

あなたの魔法は何に宿りますか?